コーヒーが好きではなかった私が、珈琲屋店主になるまでの話

『あの一杯が、すべての始まり』
私は、もともとコーヒーが好きではありませんでした
むしろ、
『なぜ、こんな苦いものを美味しいと言うのか』
そう思っていた側の人間です。
学生時代、
純喫茶が全盛だった頃の話です。
友人たちは皆、ブラックコーヒーを注文する。
それが”粋”で、”通”で、どこか格好よかった時代でした。
パイプで煙草をくゆらせながら、コーヒーを飲む。
今思えば、少し気取った光景です。
そんな中で、私だけは違いました。
注文するのは、いつも紅茶。
コーヒーの苦味が、どうしても好きになれなかったのです。
―――ところが、
卒業後、料理人を目指して入ったレストランで、
なぜか私は「喫茶部門」を任されることになります。
コーヒーが好きではない人間が、
コーヒーを出す側に立つことになったのです。
本を読み、知識を詰め込み、
「美味しい一杯」を目指して試行錯誤を重ねました。
それでも、
自分が納得できる味には、どうしても届かない。
評判の店を巡り、味を確かめても、
むしろ迷いは深くなるばかりでした。
何が正解なのか、分からない。
そんなある日、
ふと立ち寄った一軒の店で、
一杯のコーヒーに出会います。
「・・・美味しい」
それは、
私にとって人生で初めての、
“心から美味しいと思えたコーヒー”でした。
浅煎り、そして粗挽き、
すべては、そこから始まります。
(次に続く)
『その一杯は、私の中の何かを一瞬で変えてしまいました』

あの日、偶然入った一軒の店。
そこで出された一杯が、
私の中の常識を、すべて覆しました。
その店の名は――「マ〇リー」
自家製の布ドリップ。
卓上の小さな灯りに照らされながら、
一杯ずつ、静かに、丁寧に淹れられていくコーヒー。
その所作を、ただ見ているだけで分かるのです。
「これは、今までのコーヒーとは違う」と、
そして口にした瞬間
思わず、言葉が漏れました。
「・・・美味しい」
コーヒーで、初めてそう思えた瞬間でした。
コクがあり、まろやかで、
どこまでも澄んでいる。
苦いだけだったはずの飲み物が、
まるで別のものに感じられたのです。
それから私は、その店に通うようになります。
店主と話す時間が、何よりも楽しみになりました。
これまで本で学んできた知識。
うまく淹れられない理由。
自分の中の疑問をぶつけると、
返ってくるのは、驚くほど明快な答え。
まさに「目から鱗」でした。
後になって知ったのですが、
その店主は、業界では”知る人ぞ知る存在”。
けれど当時の私にとっては、
ただ一つ確かなことがありました。
それは、
「私は、コーヒーが嫌いだったのではない」
ということです。
ただ、知らなかっただけだったのです。
本当に美味しいコーヒーを。
当時の喫茶店で出されていた一杯。
それが”普通”だと思い込んでいた自分。
けれど、本物はまったく違った。
丁寧に淹れられたコーヒーは、
こんなにも澄んでいて、深い。
その一杯は、
私の中の何かを、
一瞬で変えてしまいました。
まるで、
雷に打たれたような衝撃でした。
(次に続く)
雑味のないコーヒーを見てみる
『コーヒーとは、ただの飲み物ではないのかもしれない』

その店のコーヒーは、
すべて『一杯ずつ』淹れられていました。
布ドリップ、
しかも、見たことのない形です。
細く、流れるようなシルエット。
既製品ではなく、型紙から起こした特注品だと言います。
さらに驚いたのは、抽出の道具。
ポットではなく、
少し形を整えたアルミの手鍋。
その手鍋から、
リズムよくお湯が注がれていきます。
一定ではない。
けれど、迷いもない。
手元は小さな灯りで照らされ、
コーヒーの粉がふくらむ瞬間を見極めて
「ここだ」
そう言わんばかりのタイミングで、湯を落とす。
その一連の動きに、私は目を奪われました。
これは作業ではない。
“技術”でもない。
――職人の世界だ。
そう感じたのです。
後に聞いた話では、
この抽出法は、大阪・難波のある店で磨かれたもの。
当時のコーヒー職人たちが、
試行錯誤の末に辿り着いた形だといいます。
今では、その店もなくなり、
その技術に触れることも、ほとんどありません。
けれど――
あの一杯の中には、
確かに「積み重ねられた時間」がありました。
そして私は、思い始めます。
コーヒーとは、
ただの飲み物ではないのかもしれない、と。
この一杯から、すべてが始まりました。
今も変わらず、
雑味のないコーヒーを追い続けています。